しまさんのアタマの中

ワタクシしまさんのアタマの中。公益性ってなんぞ?「にんげんの森」。宗教のこれからを考える「宗教といつか」。そのほか普段思ったこと、知れば少し幸せになれるかもな考え方を書いてみてます。

なんで人間を「材」「財」って考えるの?

人間って、「財」じゃなきゃだめなの?

という疑問が最近湧いた。就活してた時、いろんな会社が「弊社では人財開発を進めております」とか「人財の採用を進めます」とか言ってた。

でもさ、人間て「財」じゃないし、「材」じゃないと思う。というのを以前ついつぶやいてしまった。

人材不足という表現は、人間をしょせん材料くらいに思っている言い方だからいやだっていうのがシンプルな表現になるかな。

「じゃあ財でもいいじゃん」

そうですね、おっしゃる通りです。でもね、「財」って宝物という意味で使っているなら、宝「物」であることを忘れてるんじゃないかと。だから、人間というのは「人生ここまで生きてきて、いまどういう人となりで、これからこういう夢やなりたいものを目指す」から人間なのであって、「材」でも「財」でもない。

「人間の値打ち」

 

人間の値打ち (集英社新書)

人間の値打ち (集英社新書)

 

 いまこういう本を読んでいる。鎌田實先生は、医者だけど、人生哲学をすごく教えてくれてる。この本では、「人間の値打ちってなんだろう」という視点から、人間の社会をとらえている。特に、冒頭の部分で

この国の政治家には、コストでしか人間の価値を測れない人がいるようだ。(中略、麻生現副首相の高齢者に対する発言を引用してから)長生きはおめでたいことのはずなのに、これでは「お金がかかるから長生きするな」と言われているようなものではないか。(p.21)

実際、発言自体は若者を中心に共感されている。たしかに、この麻生副首相の発言自体は切り抜かれたものかもしれないが、なんか悲しい。

元の話に戻そう。鎌田實先生は、さらに相模原の障碍者施設襲撃事件の話から、遺族の発言に

「この国には優生思想的な風潮が根強くあり、すべての命は存在するだけで価値があるというのが当たり前ではないので、とても公表することはできません」とコメントしている。(中略)生きているということがどんなにかけがえのないことか、根源的な命の「価値」が軽んじられている。(p.23)

と述べている。実際、会社がそのつもりで言ってないのはわかるが、どうしても(あくまで個人の感情だが)人間を「人材」「人財」と考えるのはやだ。

人間の「価値」は計測不能な「社会的価値」があってこそ

そろそろ結論。鎌田實先生は、人間の値打ちについて、稼ぐ力が人間の価値(これこそが会社にとっての人財価値なのだろうが)だと、それも大切だが、ほかにも「生活力」というリアルな、どんな状況でも丁寧に生きる力が大切だと述べている(p.30)。

もっといえば稼ぐ力につながる部分も多い。それは、物がいいだけでは売れない時代だからこそ。理念や哲学のこもった商品を売ることの、利益という数字では見えない価値を生み出せることをこれから見ていかなきゃいけない。

そのためにも、人間の「価値」というのは、ただ稼ぐ力がすごいのではなく、ただ知識量やコミュニケーション能力に頼って戦うのでもなく、色んな人間を寛容できたり、人生の新しい道を提案したり、場合によってはいままであった価値を捨ててでも自分の新たな価値を創ったりすることができる、「人間」であることだと思う。

自分さえよければそれでいいなら、稼げるだけで良いけど、そんなんで人間として生きてていいの?そんなの人間じゃなくて「人財」だから、将来AIとか機械とかがやるからいらないよ?というあおりを積極的にしていきましょう。だって、「人間」が作った社会だもの。人間が活躍しましょ。一億(人間が)総活躍社会で。